2005年5月版(Vol.8)

OHCエンジンを持つMGたち
〜MMM・MGの魅力〜

  皆さんはMMM・MGのことをご存じでしょうか。メジャーで人気のあるミジェット、AやB、Tシリーズ、あるいはサルーンとは違い、日本ではかなりマイナーな部類に入るMMM。「トリプルエム」と読むところを間違えて「スリーエム」と読んでしまう人が多いぐらいです。このMMMに関する読み物は、日本では断片的なものを除いてほぼ皆無の状況下、あえて本邦初?の実用的な解説をやろうと思います。戦前モデルなどに興味ないなどと言わずに是非一読してみてください。読者のみなさんにMMMの魅力を少しでも知っていただければ幸いです。

1 MMM(トリプルエム)とは

 MMM・MGといっても、何のこっちゃとおっしゃる人も多いかと思いますので、まず時代背景を説明しましょう。
 MGは1921年にセシル・キンバーがモーリス・ガレージに支配人として入社後、1923年にモーリス車(オックスフォードとカウレー)のスペシャルを造るところからスタートしました。徐々に親会社モーリスの改造車にとどまらずM.G.の独自色が打ち出され始め、ついに8 / 33 Mタイプ・ミジェットとして初のMMM車がお目見えしたのは1928年のことです。同じ年に親会社が発売したモーリス・マイナーを抜本的に改造したクルマでした。軽い車体とチューニング・ポテンシャルの高い847cc4気筒OHCエンジンの組み合わせは、レースや当時盛んだったトライアルなどで頭角を現わしました。その後は矢継ぎ早に4気筒・6気筒OHCエンジン搭載の高性能スポーツカー・レーシングカーを発売し、英国のみならずヨーロッパのレーシングシーンで大活躍、好評を博しました。
 しかし1935年の半ば、当時まだMG社のオーナーだったウィリアム・リチャード・モーリス(後のナッフィールド卿)は採算を重視し、レース活動に資金を使いすぎて赤字となっていた独立会社M.G. Car Co.を再びモーリス社の傘下に組み入れ、セシル・キンバーに金の掛かる一切のレース活動を中止するように命じます。その結果、独自のOHCエンジンを持っていたMG(モーリスや傘下のウーズレーは既にOHCエンジンの使用を辞めていた)は、1936年に既成の安価なモーリスのコンポーネンツ(OHVエンジン等)を使用したTシリーズという「普通の」車に成り下がり、MGの黄金時代は終わりを告げます。なおSVWシリーズも大きくて豪華でしたが、モーリス起源のOHVエンジンを有する比較的安価なクルマでした。
 MMM・MGとは、この1929年から1936年までの僅か6年余りの短期間に生産された小排気量OHCエンジンを持つMGを指す代名詞で、モデル名で言うMidget、Magna、Magnetteの頭文字を取ったものです。その生産台数は10000台あまりです。
 英国やアメリカ、オーストラリアなどではこのMMMの熱狂的なファンが数多く存在し、MGカークラブが中心になってコンクール・デレガンスやレース、トライアルなど活発な活動が続けられていますが、残念ながら日本ではMMMに対する認識が低く(K3マグネットなど少数の特定のモデルのみ知名度が高い)、大多数の人は「戦前」と言うだけで敬遠してしまうようです。
 かく言う筆者も、実際にMMM・MGに接するようになるまでは、戦前のMGはおろかTシリーズですら「前時代の乗物」という先入観がありました。ときおり雑誌などで紹介されるだけの、注釈もほとんど無い白黒写真のMMMはなおさらで、非常に漠然とした憧れの対象とは成り得ても、実際に自分が所有し、深くのめり込んでしまうとはとても考えられませんでした。
 ところが実際のMMM・MG各車は、見かけによらず動力性能は意外と高く、またOHCエンジンのチューニング・ポテンシャルも高いため、普通にメンテされ、ノン・シンクロのギアボックス、あまり滑らせてはいけないクラッチ、それに夏場の水温にさえ気をつけていれば、現在の道路事情でも特に痛痒は感じません。実のところ、MMMは小さくて軽いため意外に運転しやすく、TAやTCよりも楽なほどです(TCなども見かけよりは運転しやすいのですが、ボディが大きく重くなったことに伴い、ステアリングが滅法ヘビーなことなど欠点も合わせ持っています)。特に非常に小さくて軽量のJやMは、筆者にとっては軽快で本当に乗りやすく、週末の足にしているほどです。またほとんど全ての消耗品が今も生産されているため、構造が非常に簡単なMMMの維持は容易です。

2 MMMの魅力

 MMMの魅力は、車種が極めて豊富なこと、スタイル、希少性、高性能OHCエンジン、いかにもスポーツしているといった操縦感、レーシングヒストリー、パーツの入手が容易なこと、あるいは本国MGカークラブ・MMMレジスターのバックアップ体制、などなどたくさんあります。人によって何が最大の魅力かは異なるでしょうが、ここでは順に説明していきましょう。

まず車種が豊富なこと。Mタイプ・ミジェットに始まるMMMの系譜は別の機会に整理して詳述しようと思いますが、4気筒のミジェットはM・C・D・J・P・Q・R、6気筒マグナはF・L、6気筒マグネットはK・Nと、シリーズ名だけを数えても11種類が存在します。しかも各シリーズには様々なボディバリエーション、チューニングバリエーションが存在し、2座ロードスターのほか、4座ツアラー、2座クーぺ、4座サルーン、さらには車種によってはDHC(ドロップ・へッド・クーぺ)や単座または2座のレーシング、果てはバンまでありました。またMG社の標準ボディに加えて、ジャービス、カールトン、スタイルズ、アリンハム、クレスタ、コルシカなどのコーチビルダーがスペシャルボディを架装し、一部はMG社のカタログモデルとして正式に販売されています。オーナーが個人的に架装したもの(例えばジェンセン・ボディのKタイプ)やスイスのコーチビルド・ボディ、オーストラリア独自のボディ(豪州には関税の関係でシャーシ状態で供給された車が多く、ボディは現地の販売会社が独自に架装した)まで含めるとそれこそ数え切れないほどの車種構成となります。

 スタイルについては、どの車種も古典的な英国スポーツの雰囲気に包まれています。「スポーツカーは仮に止まっていても速く走っているように見えなければならない」と言ったセシル・キンバーの言葉通り、ロードスターはもちろん、4座ツアラーやサルーンもスポーツカー然としているのはさすがMGといえます。
 ボートテールにV型のフロントスクリーンを持つMタイプは本当に可愛らしく、フレアしたウイングと、リアに背負ったスラブタンク、大径のワイヤーホイールが美しいJ・P・Lなどのロードスターは、Tシリーズよりも全体的に小さく引き締まって好ましく見えます。4座ツアラー各車は耐候性を重視したその後のモデルには見られない均衡のとれたスタイルを持っていますし、クローズド・ボディ各車も、Fタイプ・サロネットやLタイプ・コンチネンタル・クーぺの瑞正な美しさ、P・N(TAにも)に載せられたエアライン・クーぺの優雅さは特筆すべきものがありますし、CタイプやK3・Q・Rなどのレーシングモデルについては、あえて言うまでもなく各々が戦前レーシングカーの究極のプロポーションであることは万人が認めるところです。

 次に希少性。Tシリーズ以降のMG各車(一部の車種を除く)に比べて生産台数・現存台数ともはるかに少ないため、いきおい希少性は相当高いものとなります。特に二桁あるいは一桁しか生産されなかった一部の車種は、現在では極めて入手しにくいのは事実です。
 しかしポピュラーなJ2やPAなどの2シーター・ロードスターは生産台数も現存台数も結構多く、英国では流通量も比較的豊富で、かつTシリーズと同レベルかやや上の価格帯であり、入手もそれほど困難ではありません。この点につきましては後述します。

 先にも述べたようにMMMは全てOHCエンジンを搭載しています。Mタイプ4気筒はモーリス、Fタイプ6気筒はモーリス傘下にあったウーズレーのユニットを一部改良した程度のものでしたが、それ以降はモーリスやウーズレー・ユニットとはかなり異なるMG独自のものとなっていきます。MMMのOHCエンジンに共通なのは、何といってもカムの駆動方法が特異なことです。通常のチェーンやベルト、あるいはギヤドライブとは異なり、クランクとカムの先端にそれぞれベベルギアが付いており、それらが垂直のシャフトで連結されて駆動されるシャフトドライブだという点です。さらにこの駆動シャフトは、そのままダイナモのアーマチュア・シャフトも兼用しており、機械的な故障が殆ど無いという利点があります。昔はカムのべベルギアハウジングからオイル漏れがひどく、ダイナモやラジエターがオイル漬けになることも多かったようですが、現在は高性能オイルシールが使われるようになり、オイル漏れのトラブルは克服されています。このエンジンのパワー・トルクはノーマルではたかが知れたものですが、チューニング・ポテンシャルは極めて高く、1930年代当時でもリッター当たり自然吸気で70馬力、スーパーチャージャー付きでは160馬力が可能でした。現在では改良されたクランクやコンロッドが制作・市販され、耐久性をあまり犠牲にせず相当のチューニングができるようになっています。このエンジンを分解組立する度に、機能的で無駄の無い設計に感心します。材質は別にして、同年代の英国のベストセラー車に搭載されているサイドバルブエンジンとは全く比較になりません。

 操縦性は、悪くいえば野蛮、よく言えば男性的といった表現が適当なほどタフでハードです。前・後輪ともリジットのサスペンションは堅く、ステアリングは曖昧で、シンクロの無いギアボックスは上げるにも下ろすにもダブル・クラッチが絶対不可欠です。コーナーリング・ポテンシャルは現代の車とは比較になりませんが、重いステアリングを制御し、アンダーステアに抗しながらコーナーをクリアするその操縦感覚は正にスポーツカーそのものです。低い速度で容易に限界に到達するために、安全かつ面白いコーナーリングがいつでも楽しめるのはMMMの大きな魅力です。ノーマルエンジンでは日本の山道ではトルク・パワー不足にイライラするのですが、平坦なワインディングでは滅法おもしろく、さらに軽くチューニングしてやると楽しさは倍増します。ただし高速道路のクルージングはやや忍耐を必要とします。なお、MやCタイプで使われたAdamant式ステアリングが、JやF、K、LでMallers Wellers式になり、さらにPAの後期からN(後のTA〜TCも)にはBishop Cam式に徐々に「改悪」(私見ですが)されていくのは少し解せません。Jまでは車重の軽さもありますが、PやTシリーズとは比較にならないほどステアリングは軽く取り回しが容易です。

 レーシングヒストリーは言うまでもなく素晴らしいものがあります。Mタイプから最後のRタイプに至るまで、ここにその戦歴をいちいち書き記すことはできませんが、特にCタイプやK3等のワークス・レーサーはサーキットで英国自動車史に残る数々の記録を残していますし、また「クリーム・クラッカース」や「スリー・マスケターズ」などがトライアルシーンで大活躍していることは有名です。モナコ・ガレージやベレビュー・ガレージなどのプライベーターもワークスに負けないほどの活躍をしました。これらは機会を見つけていずれ紹介したいと思います。

 パーツに関しては、消耗品は殆ど全て再生産されており入手も容易です。消耗品以外でも電装品やアクセサリー、さらにはボディまで再生産されており、一部の特殊部品や再生産されていないアクセサリーを除いて殆ど全てが入手可能なことには驚かされます。最近はエンジンすら受注生産されるほど。また再生産されていない部品も、中古部品やリビルト品が入手できますので、とにかく部品で頭を悩ませる必要がないのは大きな魅力です。英国では現在2社が大手のパーツ供給元となっていますが、中小の部品業者や修理工場規模でも部品を限定生産しているところがあります。中には改良・強化された鋳造シリンダーブロックや、アルミ製でハイカム・ビッグバルブを組み込んだJ2のシリンダーヘッドを生産しているチューニング業者もあります。

 英本国のMGカークラブは車種別にレジスターが分かれており、MMMは当然MMMレジスターが面倒を見てくれています。メンテナンスやチューニングに関するアドバイスはもちろん、オリジナルの状態や現存する各車種に関する情報、レーシング・ヒストリーの研究結果など、希望すれば色々と教えてくれます。また英本国ではイベント運営など幅広い活動もなされており、この点は英国のMGファンがうらやましい限りです。

3 日本に棲息するMMM

 さて、以上でMMMの魅力が一通りお解りいただけたかと思います。では日本でMMMは一体どれぐらい棲息しているのでしょうか。以前より筆者は本国MGCCのMMMレジスターの依頼もあって、日本に存在するMMMの実態調査をしていますが、例のバブル期に単なる投機またはコレクションなどの対象に複数のMMMが輸入されたこともあり、果たして日本に何台のMMMが存在しているのかは定かではありません。おそらく全部で60台強だと思われますが、そのうち投資目的などではなく、MMMの何たるかを理解している本当の愛好家の元にあるのは40数台、そのうち活動状態にあるのは最近は増加傾向にあって30台強だと思われます。内訳は筑波などでレースに使われているのが7〜8台、日本のナンバーが取得されているものが25台前後といったところでしょうか。従ってMMMは、日本ではTシリーズなどに比較して極端に数が少なく、ナンバー付きともなると路上や中古車屋の店頭で見かけることは皆無に近いのが実態てす。博物館や筑波のクラシックカー・レース以外ではまず目にする機会がないでしょう。おそらく戦前のMGということで「遅い、高い、壊れやすい、部品がない、修理困難」といった先入感があるためではないかと思われます。
 日本に棲息する、または日本人が所有するMMMは現在筆者が確認している限りで58台ですが、継続調査中です。雑誌の紹介記事や中古車屋の売買情報に加え、実際のオーナーによる情報や、ジャーナリストの方の情報をもとにしたものですので、いずれ雑誌で協力を呼びかけたりして詳しく調べてみるつもりです。本国MGCCのMMMレジスターもMMM各車の生存状況を世界的規模で調査しており、前述のようにその日本窓口は筆者になっていますので、是非とも各方面の協力を得てしっかりした調査を実行すべきだと思っています(別資料参照)。

4 MMMを手に入れる

 さて、MMMは決して遅いとか部品に困るといったことがないことは既に述べました。同年代のクルマには色々と欠点を持つものが多いのですが、MGに関してはブレーキにしろエンジンにしろギヤボックスにしろ全く日常使用に問題なく、現代の路上でも普通に乗れるのは魅力的です。また車種の多さが選択肢を増し、好みや使い方にあった車種を選ぶのも楽しいことです。そして深く知れば知るほど、特にレーシング・モデルやスペシャル・ボディのMMMは、MGファンとして所有欲をかきたてられます。それでは日本で殆ど流通していないMMMを入手するにはどうすれば良いのでしょうか。

 まず戦前MGを取り扱う専門店から購入する方法があります。英国のクラシックカー雑誌を読んでいますと、そのようなショップが幾つか広告を出しています。売り物はレストアが必要なものから程度極上のピカピカまで様々ですが、毎月平均して3〜4台が売りに出ているようです。多くは生産台数・現存台数とも豊富なJ2やPAですが、好ましく改造されたレーシングMMMのレプリカなど、意外な売り物がでてくることもあります。FやL、Nといった6気筒モデルは、以前は散見されましたが、最近は殆ど見なくなったのは残念ですが。生産台数の少ないDやK、或いはC・Q・R・K3などの本物のレーシングモデルは当然滅多に売りに出ません。
 J2やPAの売値はそこそこの程度の車で16,000ポンドぐらいから見られます(6気筒モデルは4気筒モデルの2〜2.5倍くらいが相場。ちなみにTCはJ2やPAとほぼ同じ、16,000ポンドくらいから)が、程度が良い車は最近は22000から25000ポンドに達するようです。なにぶん70年ほど前の車ですから写真も見ずに購入してしまうのは非常に危険なのですが、広告主にFAXで写真と詳細を送ってくれと頼むと、多くが「もう売れてしまった」と言ってきます。何も日本人にクルマを売るのが嫌なのではなくて、本当に英国ではMMMの流通は速いようです。逆に問い合わせたときにまだ在庫しているような車は、どこかに欠陥があるか価格が高すぎるかのどちらかだと思って良いでしょう。従って雑誌の広告を頼りに買うのは、日本からでは時間差(雑誌に広告が出るまでと雑誌を入手するまで)を克服できない以上、ちょっと難しいでしょう。この点でリアルタイムで情報収集ができるインターネットならうまくいくかもしれませんが、素性の知れた車ならともかく、最悪の場合は詐欺に合う可能性もあるのですから、あまりお勧めは出来ません。なお、一時は売れ行きが停滞気味だった英国も、最近は投資の対象を株や債権から美術品にシフトする動きがあるらしく、価格が安定して人気の高いMMMはタマ不足になりつつあります。

 またオークションに出てくる車を買う方法もありますが、実際オークション会場にまで出向くことができる人はともかく、電話でビッドに参加するにはかなりの語学力と経験・駆け引きが必要で、現実的ではありません。またオークション出典車は基本的に試乗できないために半分バクチ的なところがあります(過去にニセ物やエンジンの中身がカラッポの車が出てきたことは何度もあります)。しかも実際に落札したとしても、英国内の陸送や船会社の手配を誰に額むか、などリスクが大きすぎます。

 確実な方法は、英国のMG通かMMM専門店に事前に声を掛けておくことです。本当にMMMを所有しようという方は、自分の好みのモデルをお持ちでしょうから、まずMGの写真集や洋書を熟読して知識を得、そのモデルの長所も短所も理解した上で信頼できる相手に出物情報を素早く送ってもらうという方法があります。筆者の場合、オークションの代理落札を依頼できるほど信頼できるMMMエキスパートに試乗してもらい、程度やオリジナリティをし確認し、安心できる船会社から船積みしてもらえるルートがあり、大変重宝しています。

 また直接オーナーに交渉する方法もあります。写真集などで「これは!」と思うMMMに狙いを付け、現オーナーを調べて(英国MGCCのMMMレジスター発行資料から調べることができます)直接交渉するのです。通常は信頼できる代理人を立てますが、相手が売る気になっていれば案外簡単にいくものです。筆者も2台ほど狙いをつけてオーナーに問い合わせたことがありますが、強気の価格でしたので長期戦と考え、オーナーとのんびりした(10年はかかるでしょう)交渉を楽しんでいます。

 筆者は本国のMMMレジスターの日本のとりまとめをやっている関係上、ショップに出ないような密かな個人売買情報がちらほら入ってきます。MGに限らず希少なモデルは大っぴらに宣伝されることなく個人レベルで静かに所有者が変わるのが通例ですが、そのような情報も入ってきますので、稀に驚くようなモChange Handsモを目の当たりにすることがあります。

5 MMM入手時の注意点

  さて、先にも述べたようにMMMはパーツの心配はありませんので、どのような方法で手に入れても構わないのですが、基幹部品には注意する必要があります。日本でもMMMのエンジンのオーバーホールやチューニングをしてくれる工場は探せばあるでしょうが、戦前のエンジンというだけで敬遠されがちです(ホワイトメタル盛りを引き受けてくれる内燃機屋が随分と少なくなりました)。仮に引き受けてくれたとしても高価だったりするでしょうし、適正トルクやクリアランス値などの基礎データはもちろんのこと、特製カムやクランク、ピストン、コンロッドなどに関する情報やノウハウを持っているところはあまり無いでしょう。特にKタイプ・マグネットなどに用いられた半自動のプリセレクター・ギヤボックスの修理は日本では難物です。そこで日本に送る前に信頼できるエンジニアにエンジンを無鉛へッドに加工してもらい、ついでに軽チューンを施し、メタルやギア、クラッチ等を新しくしてもらい、ギヤボックスもしっかりとオーバーホールしてもらえば安心です (騙されたりいい加減な整備をされたりしないよう、必ず信頼できるエンジニアに頼むことです)。もちろん自分で修理する人にとっては、構造が簡単なMMMのOHCエンジンは扱いやすいので、文献を読んで知識を蓄積し、試行錯誤をしながら組んでいけば良いのですが。なお筆者の場合は、上述のようなノウハウや情報は長年の間に蓄積していますし、メタルのクリアランスやギヤのメッシングの具合に自分の好みがあるのと、オイル漏れの秘策や見えない部分の改良をするため、エンジンは自分で納得しながらOHするのを好みます。後述しますが、英国でかなり有名な人に組んでもらったエンジンに満足できなかったためです。もちろん現在も英国やドイツ、アメリカのエキスパートとのやり取りで日々勉強ですが、逆に筆者が米英のアマチュアレストアラーにメールで指導したり情報を流したりすることが増えてきています。

 ボディや内装パーツは、少々程度が悪かったりオリジナルでなかったりしても、部品の入手は簡単ですので自分でコツコツ直すことができます。但しMMMのボディは昔も今も全て手作り(キットもある)で、幌・サイドカーテン・ドアの内張りは車ごとに少しづつ寸法が違いますので、既製品を購入してもピッタリ合わない場合があります。この点はTシリーズ以降のようにはいきません。従って購入の際に最低でも幌とサイドカーテンだけは英国で新調(オーダーメイド)しておくと良いてしょう。日本でも現物あわせで作ってくれる内装業者はありますが、高価かつ満足いく生地が揃っていないことが多いようです。

 ところで、中古車を購入する方法は一般的に次の3通りあります。・フルレストアを前提にして程度の悪いのを購入する、・そこそこの程度の車を購入して直しながら乗る、・レストア済みの極上車を購入する。
 筆者が今まで日本で携わったMMMは20台ほどしかありませんが、通常のヒストリックカーと同じく・の方法を採るのが無難です。理由は、それが最終的には安くつくからです。・は日本上陸後に修理に案外お金が掛かる場合が多い傾向にあり、また・は自分でやる場合は良いのですが、レストアラーに頼むと相当高くついてしまいます。
 では、いくつかのMMMを例に、経験を元にそれぞれのパターンを検証してみましょう。。

 ・(例1:ヤ32年式J2)は、1970年代の始めにに岐阜の愛好家が個人輸入したもので、レーサーに仕立てるべく少々改造を受けましたが、結局バラバラの状態で多くのパーツ(エンジンなども)を失ったまま納屋に保管されていました。1997年に筆者が譲り受け、現在組み上げの最中です。幸いエンジンやその他多くの手持ちパーツがありましたので、コツコツ楽しみながらレーサーを作っているところで、シャーシおよびボディの大部分が完成しました。アルミのボートテールボディの自作が非常に面白い作業でした。今はスーパージャー付きのレーシングエンジンがほぼ組みあがり、最終仕上げに取り掛かっているところです。しかし、こういうパターンは直ぐ乗りたい場合には向きませんし、場所の問題もあります。またレストア自体は大した工具も技術も要りませんが、MMM特有の知識や複数の部品入手ルートを確保しておかないとうまく進捗しません。なお、外注作業を極力なくしていますので、費用は余りかかっていません。
(例2:ユ35年式PB)は希少なアルミボディのエアラインクーペですが、非常に程度の悪いものを1994年にスコットランドの農家の納屋で発見して購入、英国で6年半かけてフルレストアしました。14台しか生産されていないPBエアラインの特殊なクーペボディを新製しましたので、通常の2シーターなどより手間もお金も掛かりました。慎重にレストアラーを選び、パーツの手配などは自分の手で行いましが、結果的にどれほどの金額になったかは計算していません(チョッと怖くてする気になりません)。レストア済みの同型車が市場に出てくることは殆どないので、このような方法を採らざるを得なかったのですが、スペックや塗色を好みのものにできること、またレストアのコストが長期にわたって少しずつ発生することなど、メリットはあります。

 ・(例3:ユ29年式Mタイプ)は、英国で普通に乗られていたものが比較的安価に売りに出、現オーナーが購入しました。日本に積み出す直前にメタルを傷めてしまい、英国の信頼できるエキスパートにエンジンのOHをしてもらってから輸入しました。購入価格は比較的リーズナブルだったのですが、エンジンのOHを強いられたため、やや割高になってしまいました。但しOHを信頼できる人にやってもらったこと、その際に強化クランクを奢ったことで、かえって日本上陸後に壊れるより良かったのかもしれません。なお、このエンジンは日本に着てから車検取得直後、ヘッドガスケットが吹き抜けるトラブルがありましたが、オーナー自らソリッドカッパーのガスケットへの変更してこのトラブルは再発しなくなりました。さらにその後MMMの弱点であるダイナモ上部のオイルシール劣化によってオイル漏れというトラブルもありましたが、これもオーナーが修理。その際に内燃機屋さんにお願いしポート研磨を行いました。
 (例4:ヤ33年式J2)は1989年に英国でオークションに出てきた車を落札、輸入しました。それは1980年頃に英国でレストアされたもの(いわゆるOlder Restoration)でオリジナリティは極めて高かったのですが、レストアが中途半端で、かつ保管が悪かったらしく各部がヤレたり壊れたりしており、日本で車検取得後に気に入らない部分を手直ししました。結果的にはあれもこれもと欲張ったため、部品代が結構高くつきました。またエンジンに難があって(リヤエンドからクラッチハウジングへのオイル漏れによるクラッチの滑リ、最終的にはオイル・リターンパイプ取付けボルト脱落でオイルを失ってメタルを損傷)、英国でスペアエンジンを探し出し、特殊鋼のクランクを組み込んでオーバーホールをしてもらった後に日本に持ち込んでエンジンの換装を行いました。しかし換装後のエンジンもリヤのメインベアリングが焼き付く持病があり(メタルの盛り方が不良だった)、また焼き付きによるクランクの曲がりの影響でフロントエンドから少量のオイルが漏れることに満足できず、何度も組み直しました。現在はクランクシャフトの曲がり修正後、英国より取り寄せた特殊なホワイトメタルを使い、完全バランス取りした上にシール類に留意して組んだため、オイル漏れもほぼ皆無のスムーズなエンジンに仕上がっています。いたって快調、110km/h巡航も苦にならず、週末の足として大活躍です。1989年に輸入してから今まで25,000kmほど走行しましたが、ここ数年はチューニングの結果パワーアップしてより乗りやすくなったためか、年に3〜5000kmのペースで頻繁に使用しています。結果的にこのJ2にはかなり手間と資金(と愛情)を注いでいます。ただ、MMMのメカニズムのイロハを独学ながら習得できました。
  (例5:ヤ32年式K3Replica)は、1990年頃に関東の業者が輸入し、名古屋の愛好家が所有していましたが、2002年に現オーナーが購入しました。1985年頃に英国でK1のシャーシを基に作られた、1934年式ボートテールK3の忠実なレプリカで、英国ではレースにも使われていました。納車直後にガスケットが吹き抜け、筆者がエンジンOHを担当しました。エンジンはK3とは名ばかりでK1そのままのパーツが使われており、各部の組み方も大変いい加減で呆れてしまった記憶があります。英国から輸出された時に誰かがエンジンをスワップしたのではないかと思われたぐらいです。結局はレース用のクランク・カム・コンロッド・ピストン・バルブ周りのパーツを組み込み、慎重に組上げたため、現在はレースで優勝するほど好調なクルマになりました。車検も取得しています。エンジンのオーバーホール、タイヤの新調、ラジエターのコア交換、などなど車両価格以外の出費は結構な額になりました。

 ・(例6:ユ31年式Mタイプ)は2001年秋に入手しました。筆者のPBエアラインをレストアしてくれた英国人エンスージャストが手掛けたクルマで、レストア後6年ほど経っていましたが非常に良い状態を保っていました。当初からエンジンは強化クランク組み込み済みで、さらにJ2用の4速ギヤボックスに換装されていたこと、その改良とレストアを行ったのが信頼できる人間だったことが主な購入の理由です。幌・サイドカーテン・トノカバーのみ英国で船積前に新調し、2002年1月中旬に日本に到着しました。好ましい(日本では必要な)改良を施した極上車であるにもかかわらず、レストア後しばらく経っていたがゆえに価格は比較的リーズナブルでした。このような購入の方法が結果的に最も安価でしょう。結局このMタイプは名古屋MGCCのメンバーのところに行きました。当初はオリジナルの6ボルト仕様のままでしたが、ナンバー取得後に熱心なオーナーの手で12Vダイナモ(現在新品で入手可)に載せ替えられ、見えないところに電動ウオーターポンプを取り付け、その他配線など各部に手を加えられ、セル一発で街乗りできる状態になっています。
 (例7:ユ34年式PA)は2001年の英国で恒例行事となっているSilverstone International MG Meetingにて、現オーナーが実車を見て購入しました。試乗も行った上の納得しての購入です。前年の同イベントでコンクールで優勝した極上車で、所有者の兄弟がMMM / Tシリーズのパーツ製作・販売を行っているエンスージャスト(機関のOHも手掛ける)であった点が、購入に大きく拍車を掛けました。日本で車検取得後もトラブルは全くなく、実に快適に使用されています。あまりに完璧なため、オーナーは2速ギヤに発する少しのノイズが気になり、有名なビューリーのオートジャンブルへ出かけPBのギアボックス(滅多に出ない超レアものです)を発見、それを自力でOHし換装しました。
(例8:ユ33年式J2)は2003年春にある愛好家の依頼で輸入したものです。英国で売りに出た極上車を信頼できる人間に試乗をしてもらって輸入に至りました。日本上陸後、MMMエンジンの弱点であるヘッドガスケット吹き抜けのトラブルはありましたが、ソリッドカッパーの対策品に交換してからは全く不具合は出ていません。車検を取得して日常使用されています。またその年の秋には軽井沢に1000キロにも及ぶ長距離ツーリングを敢行しましたが全くノートラブル、極上車のため初期投資は大きかったのですが、結局は安心して長く乗れるため、精神的にも金銭的にも正解だったと思います。
  (例9:ユ32年式J4 Replica)は、ある愛好家の依頼で2003年12月に輸入しました。上記例8とほぼ同じパターンですが、これは上陸後バッテリーを交換しただけで他は全く手を入れずに問題なく走り回っています。J2では決して味わうことのできないスーパーチャージャーの豪快な加速がオーナーを魅了していますが、街乗りできるほどフレキシブルなため、ドアの無いレーシングカーですが車検取得を検討中です。

6 MMMに乗る

 さてMMMを英国で購入、必要な手直しを英国または日本で行ったとして、果たして日本の路上で公に使用できるのでしょうか。結論はYES、全然問題ありません。まずMMMのナンバー取得は困難ではありません。素人でも新規車検は可能ですし、その際はオリジナルを殆ど損なわずに検査にパスさせることができます。2001年には神戸MGCCのメンバーが前述のPA(例7)の新規車検に挑戦、排ガス対策も特に行わず、腕木式方向指示器とツメ付きスピンナーのままで合格させました。改造点と言えば、オリジナルの8インチのへッドランプは最近出回っているハロゲン球を付けても光量不足のため、シールドビームをうまく組み込んだ程度です。また一旦ナンバーが付いてしまえば、継続検査(ユーザー車検)は簡単です。なお、前述のように腕木式方向指示器(セマフォー)でも車検には通りますが、安全運転のためには通常の点滅式ウインカーをサイドランプに組込んだ方が良いでしょう(改造部品は容易に入手可で、Tシリーズにもよく使用されています)。

 ところで晴れてナンバーがつき、いざ公道上で使用しようとする場合には、注意することがいくつかあります。

 まずギアボックス。MMMは、Kタイプの一部やQ・Rタイプに用いられた半自動式のプリセレクター型を除いて、全て4速、または3速(一部のM・Dタイプ)のノン・シンクロ・ギヤボックス(いわゆる「クラッシュ・ボックス」)が搭載されています。これにはギアのシンクロナイザー機構が一切ありませんので、ギアチェンジの際には上げるにも下ろすにも必ずダブル・クラッチが必要となります。慣れるまでは結構難しいのですが、いったんコツをつかめば意外に簡単で面白いものです。幸い、MMMに限らず戦前の車のクラッシュ・ボックスに使われているギアの品質は極めて高く、少しぐらいギアが鳴っても欠けたりすることはあまりありませんし、仮にギヤの歯が半分程度まで減っても、ノイズが大きくなるぐらいで特に走行に支障はありません。問題は、シフトがHパターンながら少々変わっていますので、時々戸惑ってしまうぐらいでしょうか。

 またクラッチも、摺動面積が狭い上に現在入手できるライニングの材質のせいか、半クラッチを多用すると燃えてしまうことがあるので気を付けましょう。半クラッチが癖になっている人で、スバル・レックスのダイアフラム式クラッチをそっくり移植してしまった人もいます。

 また冷却系統も注意が必要です。MMMのラジエターはハニカム(蜂の巣)タイプで現代の標準からすれば非効率な代物です。しかも通常はウオーターポンプが付いておらず、水がサイフォン式に自然循環する原始的なものですから、どうしてもヘッド周辺に熱がこもってオーバーヒートしやすくなります。そこで当時レースパーツとしてオプションで存在し、現在は再生産されているウオーターポンプをエンジンのフロントハウジングに取りつけることは良く行われます(J1〜J3はフロントハウジングをJ4用に交換する必要あり)。また電動式の汎用ウオーターポンプを付ける方法もあります。これはオリジナリティを損ないますが、エンジンのパワーを消費しませんし、何と言っても安価にかつ簡単に取り付けができます。
 いずれにせよ水温には十分気をつける必要があるのですが、車種によっては独立した水温計が取付けられないものもありますから、その場合はラジエターキャップに直接取り付けます。またラジエターは密閉式ではないので、クーラントが沸点に達する前にオーバーフローパイプから外に流出するのは正常です。そのためクーラントは当然ながら早く減ります。なお、ラジエターキャップから吹きこぼれるのはキャップのシーリングが悪いため(Oリングが入っていない車が多い)で、オーバーヒートでクーラントが激しく沸騰してしまわない限りキャップから吹きこぼれることはありません。

 ダイナモの発電量も注意すべきポイントです。MMMのブラシが3つあるダイナモは低速では発電量が十分ではありません。ダイナモ自体がエンジン回転数で回る構造のため、高速走行中は問題無いのですが、アイドリング時や夜間は消費量の方が上回りがちです。最大8A発生するよう調整するのが通常ですが、8A=96W ÷12V ですので、50Wのヘッドライトを点けると左右で100Wとなり、最大発生電流をそれだけで使い切ってしまいます。8A以上出すよう調整することはできますが、ダイナモの寿命を縮めますし、電圧も上がりすぎて逆にバルブが切れてしまいます。
 幸いMMM全車には電流計が標準装備されていますから走行中に確認できますが、発電量を改善するのは最近生産されている高効率の2ブラシタイプのダイナモ(かなり高価)に換装する以外に手は無いようてす。これは12A程度発生するようです。戦後車のダイナモはよくプーリーの交換による高回転化を図ったり、ACオルタネーターに換装したりしまずが、MMMのエンジンには通常のベルトの類いが一切付いていないので、ダイナモのプーリー交換はあり得ませんし、それゆえにオルタネーターへの変更もちょっと困難です(英国のMMM愛好家で自動車電装業者がオリジナルのダイナモのケーシングを利用したオルタネーターの開発に成功したと聞いています。またクランク先端からカップリングを経由して延長シャフトをつないでオルタネーターを増設する方法を見たこともあります。またデフのバンジョーにオルタネーターを取り付ける方法も有るには有りますが、停車時に充電しません)。第2章でも簡単に述べたように、MMMのエンジンはクランクとカムの駆動がシャフトドライプで、そのシャフトをダイナモのシャフトが兼ねている構造のため、ダイナモ駆動用にベルトは必要ありませんし、ウオーターポンプ(付いていたとして)もギア駆動ですし、冷却ファンも一部のFタイプを除いて存在しませんので、プーリー自体が付いていません。ベルト駆動式のスーパーチャージャーはありますが、このベルトを利用してダイナモを増設することは非現実的です。よって発電量を補うには予備のバッテリーを積んでおくのが一番で、筆者のユ33年式J2もリアの非常に大きなバッテリー搭載スペースにすっぽり2個の55Aのバッテリーを積み、キルスイッチを2個設置して切り換え式としています。そして帰宅後は微弱電流(4A以下)で充電してやると常に好調なばかりか、バッテリーの寿命も驚くほど長くなります。微弱電流ですとバッテリーから発生するガスは殆ど無いので、各セルのキャップを開ける必要が無く、端子の位置を選ぶと充電器接続の手間は全く掛かりません。なお、急速充電はバッテリーを酷く傷めますので行ってはいけません。

 ブレーキは全車機械式です。初期のMタイプはロッドブレーキでしたが、以降は全てケーブル式となります。ドラム径は3通りあり、M・C・D・J・F1は8インチ、F2・F3・L・P・Nは12インチ、Kは13インチが標準です。機械式と聞くと先入観で効かないものと思い込んで、ろくに調整もせず油圧式に改造してしまう人がいますが、これは大変愚かなことです。機械式ブレーキも、しっかり組まれて調整が行き届いていれば、路面にブラックマークを付けて停車できるほど強力です。少々手間はかかりますが、ブレーキシューがドラムに当る面積を最大にするよう組み、ケーブルの張りを4輪とも適正に調整していれば、通常の使用に不都合は殆どありません。ただ、エンジンをチューニングしてパワーが出ている場合は、大径の機械式に改造することは本国でも奨励されています。

 戦前の車といっても構造的に現在の車と何ら変わることもないため、MMMをドライブする上での注意点は上記の5点ぐらいです。Bやミジェットと大同小異です。日頃のメンテナンスは構造が簡素ですので戦後の車より楽ですし、オイルも現在のマルチオイルは高性能ですので、固めの鉱物油を使っている限り問題はありません(添加剤は辞めておいた方が無難です)。プラグに関してもJ以降は相性バッチリの良いものがNGKの通常市販品にあるので安心です。またMタイプなどは18mmの大きなものを使いますが、それも種類は少ないものの市販されています(なお18mmプラグホールに14mmプラグを取り付けるアダプターが市販されていますので、Mにも一般的な14mmプラグを付けることができます)。

7 MMMのチューニング

 さて、ここまて読んでこられた方は、多かれ少なかれMMMに興味を持たれたでしょうし、たくさん出版されているMGの写真集に登場するMMM各車も、以前より何となく身近で少し現実的に見えてきたことでしょう。「人とは違うMGに乗りたい。それにはMMMが面白そうだし、維持もできそうだ。でも肝心の性能は?普段の使用に問題はないのか?」-----第2章でも少し述べましたが、MMMは決して遅い車ではありません。通常の交通の流れに乗るのは容易ですし、限られたパワーを目一杯引き出して乗りこなすのは本当に面白く、現代の路上でもまったく問題なく使用できます。ただし上り坂ではやや「かったるい」面があるのは否めません。レーシング各車や6気筒モデルはそんなことはないのてすが、3速ギヤボックスのMなどはノーマルでは高速道路の登坂を走行するときなどに少し不満が出てくるかもしれません。2速では回転が上がりすぎ、3速では登らないのです。そこでJの4速ギヤボックスに積みかえることが良く行われます。
 次のステップはエンジンのファインチューン(正確な調整)です。チューニングの基本は本来の性能を最大限発揮させることにありますので、まずはバルブタイミングの入念な調整、キャブレターの同調そして点火系のリフレッシュを行います。もともと大パワーエンジンではありませんので、これだけで随分と体感馬力はアップするものです。
 それでも不満な場合はチューニングパーツ組込みによるパワーアップを図ることになります。チューニングパーツは多種類のものが豊富に生産されていますので、全く困ることはありません。しいて言えば情報が多すぎるのが悩みの種です。一般的にはクランクを特殊鋼のフルバランスのものに、ビッグエンドのメタルをシェルベアリングに、ピストンのガジェオンピンはフル・フローティングタイプに、コンロッドはキャレロ型にするなど、材質や方式を改善するのが基本で、これに面研やカムのプロファイル変更、バルブの大径化、高効率のエキゾースト、などを組合わせていきます。コスワース製のピストンにホンダのリングが組み合わされるようになってパフォーマンスは随分上がっています。もちろんスーパーチャージャーで一気にパワーを2倍にする方法もあります。
 そしてこのようなチューニングを施すと同じにファイナルを下げることも良く行われます。新車当時はその使用目的(ヒルクライム用か街乗り用か、など)によって何通りかのファイナルレシオを選べましたが、現在も標準に加えて色々なデフェレンシャル・ギヤのセットが入手できます。ただ、ファイナルを下げて最高速が上がるかと言えば、必ずしもそうではありません。パワーとギヤ比の兼ね合いは複雑です。オリジナルの5割増とかそれ以上のパワーが出ているときはともかく、基本的にはオリジナルの組み合わせが最善であると考えて間違いないでしょう。

 英国にはエンジンやギアボックス、デフなどの一般的なオーバーホールに加え、上記のようなエンジン・チューニング、足回りやボディの加工を請け負ってくれるMMM専門のスペシャル・ショップが結構たくさんあります。しかし日本にはこのようなショップは数が少ない上、MMMエンジンに間するノウハウや特殊なチューニング・パーツの情報・入手ルートなどの重要性を考慮すると、自分で行う場合を除いてはエンジンを下ろして英国に送ってしまうのが最も手っ取り早くて確実でしょう。あるいは購入後、日本へ送る前にエンジンチューンを含めた機関全般の徹底的なオーバーホールを依頼するとか。何といっても、英国には強化ブロックにアルミヘッドを載せ、時速100マイル(160キロ)を軽く出してしまうJやPがゴロゴロしているのですから。ただし、前述のように筆者のJ2のエンジン、あるいはK3のエンジンのように、ある程度のリスクはあります。
 なお、チューニングに関する情報や、英国のスペシャルショップに関する情報は、本国MGカークラプのMMMレジスターが毎年発行しているMMM年鑑が役に立ちます。筆者もこの年鑑を参照したり、海外のエキスパートと頻繁にやり取りしてノウハウを蓄積して自分でチューニングを行うのは大好きなのですが、本国で本気でレースをしている人たちのお金の掛け方は尋常ではなく、全くついていけないことも多く、妥協せざるを得ない部分があります(J2のバルブリフトを1mm稼ぐため、大径カムを組み込むことができる特殊ヘッドを何十万円も出して購入する気にはなれません)。

 またチューニングではありませんが、現在の路上でも問題なく使用するために、カートリッジタイプのオイルフィルターを取り付けられるようにするキットやアダプター(筆者のJ2に使用しています。トヨタの現行クラウン用のオイルフィルターが使用できます)や、先ほども少し述べましたが高効率のダイナモ(フォルクスワーゲン・ビートル用や戦後のLucasダイナモを改造したものなど)、アルファロメオやワーゲン用のBosch製ディストリビューターなど、便利なパーツが入手可能です。いずれも外観・雰囲気をほとんど壊すことはありません。また邪道との見方も一部にはありますが、よりハードな走りを楽しんだりレースに出たりする愛好家は、ブレーキをモーリス8などの油圧式に改造することが多いようです。
 またこちらも邪道かもしれませんが、一部の愛好家はギヤを全部新製して5速ギヤボックスに改造したり、ギヤボックスとプロペラシャフトの間にサブ・ミッションを置いて8速仕様としたりしてレースに出ています。街乗り用には、最近になってMGB用のレイコック製のオーバードライブを組み込むキットが登場しています。これによって7速ミッションにできるわけです。

8 終わりに

筆者がMMMと関わり始めてから16年。K氏が所有していたKN改(K3レプリカ)のステアリングを握ったのが始まりです。その後すぐユ33年式のJ2を手に入れてMMMの面白さに開眼し、英国で色々なMMMを見たり触ったり乗せてもらったりするうち、いつの間にか友人も情報も知識も増えました。そして1994年にユ35年PBエアライン・クーぺを購入(2001年に英国でのレストアが完成して輸入)、そして1997年にバラバラのユ32年J2を購入して現在スクラッチでレーサー製作の真っ最中です。MMM特有のメカにも相当詳しくなり、いつの間にか大量に手元に集まった新旧部品を日本中のお仲間に供給するようになり、そして整備待ちのMMMに追われるようになりました。そんな影響を受けてか、友人にもMMMにのめり込む者が3人、4人と出現、毎年数台のMMMを英国で見つけては輸入するようになりました。

奥が非常に深いMMMの世界、本当に知れば知るほど魅了されます。MMMの総生産台数は13,000台ほど、そのうち3割ほどは所在とオーナーがハッキリ分かっていますので、色々なネットワークが構築されています。そのような情報網、特にインターネットを通じた世界中のMMMオーナーとの交信が楽しい毎日です。オーストラリアのRタイプのオーナーがPタイプ用に5速ギヤボックスを作ったとか、トヨタMR2用のスーパーチャージャーを取り付ける際の注意点だとか、ベルギーの愛好家と一緒にJ2用のスペシャルカムを少量生産しようか、など話題はつきません。このような友人を通じて新車当時のオーナーズ・マニュアルや工具などを入手したり、愛車のヒストリーを調べ上げたり、また週末には自分の愛車で色々と試行錯誤をしたり、製作中のJ2レーサーのアルミボディ板金にいそしんだり…MMMはクルマ趣味を非常に充実したものにしてくれています。
 またMMMに深く関わりのあった人物のこと、特定の車のヒストリー(1998年はジャーナリストのM氏が調査する那須の自動車博物館に展示されている速度記録挑戦車「EX-120」の謎解きに少し関わりました)、MMMのレーシング記録(現在は1930年代前半のMMMのレースでの活躍をまとめています。神戸MGカークラブ会報に連載中)、あるいはそれら全般にまつわるエピソードを読むことも大変面白いことです。

 日本ではなぜか敬遠されがちなMMMについて簡単に説明し、少しでも多くの方に興昧を持ってもらおうという魂胆で書き進んでいるうちにずいぶん長くなってしまいました。今回の改訂も、1996年に最初に書いた本稿に少々肉付けして修正した程度ですが、経験談を少々充実させたつもりです。
ご質問・ご指摘・ご相談・ご意見・部品や車体の手配、チューニング相談など、MMMに関することなら何でも結構ですからご連絡をいただければ幸甚です。そして、これを読まれた方の中から「お仲間」が現れることを期待しつつペンを置きます。

2004年2月 

神戸MGカークラブ
西 尾 隆 広

* 本原稿は神戸MGカークラブ会報「クリームクラッカース」第37号(1996年5月)に掲載されたものを一部手直しして転用いたしました。
* 本原稿は神戸MGカークラブ・インターネット・ホームページhttp://lalabsd.shiga-med.ac.jp/kmgcc/index-j.htmlに掲載中のものを一部改訂したものです。